ナンパ師としての死
東京のチバさんがこないだこんなタイトルでブログを書いておられた。
死について
なんとなく僕もそれについて書いてみたかったので。
二番煎じだけど。
チバさんのブログを要約するとこうだ。
人間は案外いきなり死ぬ。
だから後悔しないように生きよう。
後悔しない為には、やりたいことを後回しにするのではなく、思い立ったらすぐ行動!
でも今から仮眠する。
さっきのロジックでいけば今すぐナンパしに街に出た方がいんじゃね?
いや、今日は疲れたから寝るわ。
どうか死にませんように。
こんな感じ。
すっげーリアルで、共感できた。
特に、今から出るのはキツイな。のとこ。
そういうことなんだと思う。
僕の意訳には多少の齟齬があるはずだから、是非こちらから本人の文脈のニュアンスを感じ取ってほしい。
死について
ところで、僕の「死」に関する話
日々死に怯えながら生きてきたわけではないけど、死んだ時のことを想像して怖くてたまらなくなって、泣き喚くことが度々ある多感な少年だった。
僕が、幼稚園の頃から小学校低学年までの頃。
たまにしか遊びに行かない幼馴染の家に家族全員で出かけた帰り。
その帰りの道すがら、高速道路に乗ったらなぜか「死」を感じた。
自分が乗るミニバンを、俯瞰した視野で見下ろす半透明の自分、というイメージが毎度頭をもたげた。
死ぬのが怖くて、「ママーwwwwマッマーwwww」と咽び泣くまでがその幼馴染の家に遊びに行った時のデフォルトだった。
なぜか毎回その幼馴染の家からの帰りで、尚且つ高速道路上でしか体感しなかった。
未だになぜかはわからんしお前が誰かもわからん。
結局僕はあれから20年近く経った今でも死んでない。
無論その幼馴染も、同乗していた家族も死んでない。
おそらく僕はメンヘラでもないし当時も特に変な子供でもなかった。
十分変かな。
死んだらどうなっちゃうんだろう?
自分の今ある記憶は全てなくなるのか?
割と今でもふと考えることがある。
でもなかなか明日死んでも後悔ないような生き方なんて出来ない。
というか、
いつ死んだって後悔するわ!
やりたいことたくさんあるのに!
人は、案外すぐ死ぬ。
いきなり死ぬ。
簡単に死ぬ。
だからこそ後悔のない生き方を。
とはよく言ったもんで。
チバさんも最後何言ってるか自分でもわかんなくなってたけど、結局はっきり答えなんてない。
ヨボヨボになるまで、人生が退屈になるまで、僕はいつ死んだって後悔する。
明日死んでも後悔ない生き方はない。
そんなこと言うたら僕は今すぐ仕事やめてCLUBに入り浸るぞ。
そうは言っても、という現実との折り合いをつけながら、なるべく早く、確実に自分のやりたいことを実現していく。
これしかない。
僕の最も尊敬し、人生に最も影響を与えた人間は、あっという間に死んだ。
人はあっという間に目の前からいなくなる。
僕は今ナンパしていて楽しい。
それはおそらく、死ぬわけじゃないけど、いずれみんなこの界隈からいなくなることがわかってるからこそなんだと思ってる。
僕のナンパは、ずっと出来ることじゃない。
今、脆くて、儚い期間だ、多分。
良し悪しあれど、入れ替わりの早いこの世界。
いつまで今の仲間と一緒に出来るかわからん。
最近は特に自分の実体験もあって改めて感じている。
ただ、めっちゃ矛盾するんやけど、
人ってそう簡単に死なない。
生死に関わる出来事なんてそうそうあるもんじゃないという方が語弊がないかな。
ガンシカされたって泥酔して記憶なくなったって死なねぇよ。
僕がレオンとして生きていられるのはあとどれだけあるかはわからんけど、どんな終わり方でもそれはおそらく突然で、あっけないはず。
尾崎豊然り、アイルトンセナ然り、その業界で有名な人が突然死ぬと、神格化される。
この界隈で言えばきゃりーさんはまさにナンパ師の歴史を変えて突然去っていった。
中にはキングカズみたいに長く続けるからこそ人の心を動かす人間もいるけどね。
だからこそ、もっともっと今楽しみたい。
レオンとしての死が訪れない間に、もっと色んなことやりたい。
社会人になってからは、何も考えずに仲間と箱出てウェーイwwwwって出来る時間、ほんとにありがたくて尊い時間。
クラスタに入ってほんとによかった。
やめる時なんて今決めなくたって勝手にやってくるよ。
それまで、今僕と一緒にナンパしてくれる人、まだ見ぬこれから一緒にナンパしてくれる人、よろしくお願いします。
別に僕まだナンパ辞めたりしませんけど、ふと思ったこと。